アメリカ、ベルギー、中国など、日本を含んだ世界6カ国で、本日10日に、ブラックホールの撮影に成功したことが、発表された。
ブラックホールの画像の紹介を、担当した本間希樹・国立天文台教授は、長年の人類の夢を成し遂げたことに、誇らしげな顔を浮かべていた。
ブラックホールとはそもそも何なんのか、撮影できたことの何がすごいのか、そして今回の記者会見を担当した本間希樹についてもご紹介していきます。
本間希樹のプロフィール
国立天文台の教授を、務める本間希樹さん。東大を卒業してから、しばらく東大大学院で経験を積んだ後、国立天文台で、20年もの間研究を続けた人物です。
今回、ブラックホールの撮影に、史上初めて成功したことを、国立天文台を代表して、発表された本間希樹さんですが、一体どのような人物なのでしょうか。
本間希樹の生い立ち
- 研究者氏名:本間希樹(ホンママレキ)
- 生年月日:1971年9月
- 出身:アメリカ合衆国テキサス州
- 出身高校:栄光学園高校
- 所属:自然科学研究機構
- 部署:国立天文台
- 職名:教授
- 学位:博士(理学)(東京大学)
本間希樹の経歴
- 1994年:東京大学理学部天文学を卒業
- 1999年:東京大学理学系研究科天文学
- 1999年~2000年:国立天文台VERA推進室COE研究員
- 2000年:国立天文台地球回転研究系助手
- 2001年:総合研究大学院大学数物科学研究科助手(併任)
- 2007年:国立天文台水沢VERA観測所准教授
- 2009年10月~11月:ドイツマックスプランク電波天文研究所客員研究員
- 2015年3月~:国立天文台教授(現職)、総合研究大学院大学教授(併任)
- 2015年4月~:国立天文台水沢VLBI観測所所長(現職、併任)
94年に東京大学の理学部天文学を、卒業された本間さん。
その後、東京大学院の天文学に入り99年に卒業。
卒業と同時に、国立天文台VERA推進室COE研究員となった本間さんは、そこから今日まで20年間ここで、働き続けます。
国立天文台に入ってから、地球回転研究系で助手を務めてた後、数物科学研究科助手を6年間して、国立天文台の水沢VERA観測所の准教授へと就任。
その後、ドイツマックスプランク電波天文研究所客員研究員となり、帰国後は国立天文台教授と、総合研究大学院大学教授を併任し、現在では国立天文台水沢VLBI観測所所長となっています。
国立天文台とは?
ブラックホールの撮影成功を、発表した国立天文台とは、一体何をしている機関なのでしょうか。
所在地は、東京都三鷹市。東京大学理学部の附属機関として、1878年に設立されました。
当初は東京大学内にありましたが、1888年~1924年の間、一時的に港区の麻布に移転します。1924年以降は、現在の三鷹に移転しそれから、95年に渡って日本の天文学を支えてきました。
文部省の直轄の機関ですが、東京大学や名古屋大学との共同で、運営され、主な活動内容は天体の観測や研究を始め、日本標準時間の決定、暦を編集などをしています。
附属施設として、乗鞍コロナ観測所、岡山天体物理観測所、野辺山宇宙電波観測所などがあります。
ブラックホール撮影の何がすごい?
ブラックホールは、重力が地球とは比べ物にならないほど強く、その力は大気や星だけでなく、光さえも吸い込んでしまいます。
そのため、ブラックホールを直接見ることは、非常に困難であり、観測も分析も殆どできない状態でした。
今回の国際チームが撮影に成功したのは、5500万光年おとめ座の中にある巨大ブラックホール。これはなんと、太陽の数十億倍もの質量を持ちます。
今回の観測は、日本が建設したチリのアルマ望遠鏡や、米欧、南極など世界中にする合計6カ所が連携して、地球サイズの巨大な望遠鏡のようなものを、構築して協力して撮影に成功しました。
宇宙の歴史
宇宙は、今から138億年ほど前に、誕生しました。
誕生したばかりの宇宙の温度は、1000億度あった言われています。それから、18億年ほどかけて、ゆっくり宇宙は冷えていき天の川銀河が誕生します。
地球にまともな単細胞が生まれるのに、さらにそこから100億年ほどかかりますが、人類が天文学の研究を始めたのが400年前なので、とにかくスケールが大きい宇宙の歴史は、人間の一生では測りきれません。
ブラックホールの存在に気づいたのが、およそ100年前。そこからようやく2019年の4月10日に、存在証明を果たすことができました。
まだまだ宇宙には、謎がたくさんあり、それを解明するには無限の時を必要としそうですが、それでも人類は諦めることなく挑戦し続けていくはずです。